衝撃的な実体験が経営の原動力。
24時間365日の在宅療養支援が当たり前の社会を目指して。
Hyuga Pharmacy株式会社(福岡県)
代表取締役:黒木哲史
本社:福岡県 出店エリア:福岡県/千葉県/神奈川県 店舗数:32店舗
従業員数:267名(2018年8月現在)
11年間で全32店舗の在宅療養支援に特化した薬局を展開するHyuga Pharmacy。その勢いからは想像し難い、決して簡単ではなかった黒木氏の29歳での独立開業。衝撃的かつ運命的な経験から在宅医療に並々ならない気持ちで向き合い続け、患者さんが自宅で安心して療養できる社会インフラを創るためにがむしゃらに奔走してきた黒木氏のこれまでと、会社を支える人財について伺った。
会社設立までの経緯
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大学を卒業されてからHyuga Pharmacyを設立されるまでの経緯を教えてください。
第一薬科大学を卒業後、沢井製薬に入社しMRとしてキャリアをスタートしました。大小いろんな病院やクリニックを担当させていただく中で、今後の業界の流れが見えたり、ジェネリックメーカーなので経営に直結する話もできたりしました。学生のときは、独立については全くイメージしていませんでしたね。一度映画監督になりたいと思っていて(笑)フリーターをしていた時期もあったくらいです。そうこうしてMRになり、業界を見ていく中でだんだん起業に興味を持つようになったという感じです。
そして個人的な話ですが、私自身が病気で入院した際に、同室だった一人が亡くなられて。ありきたりですけど「自分もいつか死ぬんだ」と、死と向き合うようになりました。生きた証を残すには何をしたら良いかを考えたときに、薬剤師の免許もあり、薬業界のこともある程度分かるので、自分で薬局をやりたいと思うようになりました。5年MRとして勤務し、29歳で開業しました。 -
1号店をオープンされたときの門前のドクターはMR時代のコネクションですか?
いいえ。私が開業したときは、大きい病院や良い院外にはすでに薬局ができていましたので。個人の名刺で院外先などを飛び込み営業しましたがどこからも相手にされず、3年ほど経ってやっと紹介されたのが2回破産した薬局で、そこを買取りました。管財人から買ったんですよ(笑)。しかも、2回潰れた薬局だからどうせまた潰れるだろうと薬も卸してもらえなくて。貯金もなかったので、そのときは実家を担保に入れて、やっと卸してもらえましたね。2回潰れるくらいだったので外来も少なく、軌道に乗せるためには門前に頼ってはダメだと思いました。そして地域のあちこちに営業して回る中で、介護施設でのニーズがあったり、薬を仕分ける看護師さんがいるところに請負のニーズがあったりすることに気が付きました。
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そういうハードな環境でなければ、今のような事業には至らなかったのでは?
そのとおりで、過酷な状況があったおかげで今があると思っています。「このままだったら潰れる」と思ってがむしゃらに営業したことが今の自分になり、自信に繋がったと思います。本当に危ないと思ったときもあって、従業員への給料の支払いもギリギリで、食費を切り詰めたこともありました。そういう経験があるので、今でもコストにはうるさいです。そういうことで人格形成されましたが、本当に良い経験だったと感じます。
会社のDNAとなる衝撃的な出来事
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経営を軌道に乗せるために奔走される中で、印象的な出来事や出会いなどはありましたか?
とあるお正月に、突然在宅のドクターから「この薬を持ってきてもらえないか?」と電話がかかってきました。普段は他の薬局に頼んでいるところを、その薬局が閉まっているから、申し訳ないけど臨時で持って来てほしい、と。そう言われて持って行ったお宅の患者さんが、一刻を争う状態の末期ガンの女性でした。そしてその場で亡くなり、女性の旦那さんがドクターにご挨拶された後私のところにも来て、泣きながら「あなたが来てくれなかったら、妻は最期痛み苦しみながら死んだと思います。」と感謝してくれて。持って行った薬は疼痛緩和のモルヒネだったんです。あんなに感謝されたことは人生で無くて、「こんな仕事があるんだ」と感動しました。すごく衝撃的な出来事で、これを日本全国24時間365日できれば良いなと、そうするのが自分の仕事だと思いました。
この出来事と、経営者としてどうしていくかを考える時期が重なって、それならこれ(在宅)を伸ばそうと。これを日本全国当たり前にするぞという気持ちになりました。 -
例えば看取りのシーンに立ち会うなど、イメージとして持っていても自分がリアルに直面することへの勇気や決断は別だと思います。それを、腰が引けながらでも経験すれば、またその先に見える環境が大きく変わる気がしますね。
そういう現実で、何事にも代え難い仕事だということを若い薬剤師に伝えたいです。これから業界的に斜陽産業と言われていますが、私は全然そうは思いません。この業界や医薬分業に対してネガティブに考えずに、やりたいことを持って働いてほしいですね。私はこの仕事が天職だと思っています。自分ほど強い想いを持っている人に私はまだ出会っていません。経営ってしんどいですが、強い想いがあると心は折れませんね。
ポリシー、DNAを引き継いでいく人財について
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社長や会社のポリシー、DNAの社員への伝承について、社長目線でどのように感じていますか?
社内コミュニケーションについてはクレドを作って企業理念などを話したり、月に1回はテレビ会議で私の考えを共有したり、ブログやSNSで情報発信をしたりしています。現在300名ほどの社員がいるので以前よりは伝わりづらくなりましたが、このようなツールの活用や、私に直接会う20名くらいから伝えてもらえるよう努めています。
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事業計画を立てる上で最も大切にされていることについて、人との繋がりや信頼関係の他で何か強く感じていらっしゃる要素はありますか?
一番は理念を実行するということです。計画の目線から言うと、もっと現場の声を拾って計画を立てられると良いですね。関東初出店の際は、こちらも遠隔なりにコミュニケーションの努力はしていましたが、現場をかなり疲弊させてしまったので。
私は、100億円規模の会社で終わろうとは思っていません。この国の医療の仕組みを我々が作るくらいの気持ちでやっているので、ちまちまやっていてはいけないんです。私は、経営者が「こうする」ということはいつか本当になると思っています。だからどうせ吹くなら大ボラの方が良いし、それがいつか実現する日が来るので、大きな風呂敷をもっと掲げたいという想いがあります。
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新卒の方も中途の方も、御社の何に魅力を感じて入社を決められていると思いますか?
昔だったら、理念が直接伝わっている人が多かったので、多少なりとも夢や私に対する期待で入ってきたのだと思います。「この会社何か尖っているよね」と感じてくれているのかなと思います。あとは待遇とか処遇とか。企業が大きくなるにつれて前よりは間違いなく良くなっているので、そういう面を見て入ってくる人も一部いますね。事業の将来性を見てという人もいます。
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最後に、「こんな人と働きたい」と思うのはどんな人ですか?
一番は先輩方のいうことを素直に聞ける人。プラス、人に火を点けてもらうのではなくて自分で燃えられる人。こう言うとすごく体育会に思われる恐れがあるけど(笑)、対象は何であれ熱量が溢れる人は素敵ですね。今そうではない人も、自分はそうじゃないと思わずに、そういうことが人生のどこかで来るんだとアンテナを張って生きると、アンテナに引っかかった瞬間に世の中が変わるので。そう思っていてほしいと思います。